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27.8.12

Voyage en train de l'Est-Europe: Jour 3 Auschwitz

343日目。

東欧電車の旅:3日目(7月31日火曜日)


パリに帰って来ていろいろイベント事がありましたが、
旅行日記に戻って参りました。

さて、3日目の事。
Prahaを夜行列車で出発して、朝PolandはKrakowへ到着。
きつきつの夜行列車で11時間。
だいぶ疲れました。
が、まずはホステルへチェックイン。
駅になるべく近いホステルを予約したはずなのに、
方向音痴(最近気がついた)の為、大分遠回りして到着。
朝一でもチェックインできて良かった。

まずは、シャワーを浴びて、溜まった洗濯をして、
と午前中を過ごしたのですが、
色々迷った結果、この日急遽ちょっとKrakowを離れて、
ちょっと小旅行。

次の日電車に乗る事で、
Passを1日使ってしまう事になるので、
この日に電車で小旅行に出る事にして、Passを節約。
時刻表を調べた結果、あと30分。
準備して、なんだかんだして、駅まで走って、
駅でPassだけ(予約無し)かどうか聞いて、
電車に飛び乗りました。
切符を拝見に来た車掌さんに電車合ってるか聞いたら、
実は間違った電車に乗ってしまったみたい。

iPhoneの無料アプリで
Offlineでも使える地図を入れていたので、
それで現在地を確認。

運良くも、方向は間違ってなかったみたいで、
Trzebiniaという駅で乗り換えろとの事。
Trzebiniaに到着したものの、
3分の差で乗り換える電車は行ってしまった。。。
ここで無駄に1時間の待ち。
ウロウロしようと思ったけど、
ここはほぼ無人駅。
周りには何も無い。
気温も大分高く、
ウロウロすると体力を消耗してしまう。
という事で、ただただ待つ。

今回の旅行、ただ待つ、ただ時間が過ぎるのを見守る、
そういう時間を過ごしたのが多かった気がする。
でも、普段忙しない私にとって、
こういう時間も必要なのかもしれないと思いました。
という事で、1時間後電車が来て、
間違えない様に運転手に確認して、
飛び乗り、ここから約30分後に到着。
Krakowを出て約2時間の移動になってしまいました。
これなら、
余裕を持ってもう一本あとの電車にすれば良かった。。。

そして、到着したのは、Auschwitz
あの第2次世界大戦中に
使われた強制収容所のある場所です。
駅から、バスに乗れば5分、
徒歩だと20分程で強制収容所跡に着けます。
私はもちろん徒歩。
Polandはまた別の通貨で、PLN(Zlotych)ですが、
慌ていた為まだ現金を持ってなかったのです。
なので、どちらにせよ徒歩。
そして、Auschwitz Museumに到着です。
ちょっと遠回りし過ぎと出発を決めたのが遅過ぎたので、
到着が遅くなってしまって、
ガイドツアーは終了してしまってました。
ツアーの中には、日本語ガイドもあるようです。
ガイドブックに載っていた日本語ガイドさんが
収容所内を案内しているのを見かけました。

ガイドツアーは250Plnですが、
ガイド無しの場合は無料。
まずは、Arbeit Macht Frei(働けば自由になる)
と書かれたアーチを潜り中に入ります。
こうやって騙されてこの収容所へ何人もの人達が働き、
最終的には殺されていました。
2重の鉄格子。
ここから脱走する事はほぼ不可能なのが見て分かります。
監視塔もあります。
中に入ると、このような今となっては一見平和そうな
並木と赤れんがが並んでいますが、
ここへ何万人もの人々が運ばれ、
窮屈な生活をしていました。

それぞれの建物は現在展示室となっていて、
テーマに沿って色々な書類、写真、物などが
展示されていました。

これは、収容された人から取り上げられた大量のメガネ。
こちらは、靴。
靴の数を見ると、
どれだけの人々がここに収容されたか想像がついて、
心が痛くなりました。
そして、義足までも取り上げられたそうで、
本当に痛々しい。
殆どが当時のまま残されていて、トイレもこんな風に、
隣合わせ。壁一枚無い様子。
衛生面も大分悪かった様です。
壁には、収容された人々の写真が飾られていて、
遺族の方がこうやって花を飾っている写真もありました。
収容所は刑務所とほぼ同じ扱い。
入所の際に私物は全て取り上げられ、
ストライブの上下を着させられ、
丸坊主にされる。
人としての扱いは全くされていません。
ギロチンや首締め台も展示してありました。
入り口入って一番右置くにある11号棟には、
逃亡者や反対活動を行った人を銃殺刑する為の
「死の壁」と呼ばれる壁があり、
そこには沢山の花が貢献してありました。
真逆の左側奥には、首締め刑台が残っています。
ガス室の中には、このような焼却炉があって、
人間を焼いていた様子が生々しく残っておりました。
ここを訪れた時、自然に涙が出ていました。
人間が非人道的なやり方で人を
このように扱っている様子が信じられず、
心に重くこの光景が残りました。
Auschwitzにはちょっと離れた場所に
もう1つ収容所があります。
そこには、無料シャトルバスは20分に1本で出ていて、
5分程で到着します。
もう1つの収容所は、
映画「Sindler's List」でも有名なBirkenau。
この線路から中に入ると、
もう外へは出られないというところ。
人が運ばれたであろう列車が残っていました。
ここは、かなり広い敷地で、
ここで人々は労働を強いられていました。
このようにいくつもの小屋が残っています。
中に入ると、何人も収容出来る様に、
小さなベッドが沢山並んでおり、
真ん中には花が貢献されていました。

帰りの電車の時間が迫っていたので、
ちょっと急ぎ足で見学して、
急いで駅に戻りました。
Birkenauから駅に行くバスはあるのですが、
時間が合わず。
シャトルバスで一度Auschwitzに戻って、
バスに乗る方法もあるのですが、
バスのスケジュールが分からず。
という事で、行きと同様徒歩。
急いで15分程で到着しました。
駅に、到着したと思ったら、
この日2度目のおっちょこちょい。
時刻表を見間違えていて、
電車は10分程前に行ってしまっていました。
しかも、次の電車は1時間半後。
さすがに自分に怒りを感じちゃってましたが、
他の方法が無いかを直ぐ探します。
駅前にたまたま来たバスにKrakowの文字。
これに乗ったらKrakowに行けるかと運転手に聞いたら、
逆方向との事。
逆側のバス停に行ってみて、
Krakowの文字を頼りに時刻表を見てみると、
30分程でバスが来る。
ここで1時間半待つよりましと思い、
バスに乗ってKrakowに戻る事にしました。

それにしても、世界遺産登録されているAuschwitzなのに、
不便さ極まりないと思いました。
電車の数は少ないし、
電車の受付のおばさんは電話で話してて
相手にしてくれないし、
案内は少ないし、英語表記も殆ど無い。
ツアーで来る観光客の方が多いのは分かるけど、
もう少し頑張って欲しいなと思いました。

同じ様な状況のドイツ人の若い女の子もバスを待っていて、
時刻通り来ないバスを一緒に待ちました。
お互い不安な気持ちを励まし合って、
バスが来るのを期待して待ち、
やっと来たバスに乗り込みました。
バス運賃は13plnでした。
そこから2時間かけてKrakowに戻ってきました。

出発から到着まで、なんだか珍道中で、
どっと疲れてしまいました。
やっぱり、行き当たりばったりは大変ですね。
きちんと調べて
余裕を持って行かないといけないと思いました。
お腹が空いたので、
調べておいたポーランド料理の食べられるレストランへ。
ホステルからもかなり近く、便利なところ。
U Babci Malinyというレストランで、
地下はレストラン、1階と2階はセルフのお店。
1階のカウンターで注文します。
この日は、ビール、ピロシキ、
ポーランドのスープZurekを注文しました。
このスープが独特でとっても美味しかったのですが、
かなりのボリューム。
ピロシキもビールに合ってとっても美味しいかったです。
ホステルに戻り、この旅やっとベッドでの就寝。
12人部屋を2人(もう一人は既に寝ていた)で
貸し切り状態。
起きた時には、もう彼女は出ていて、
ほぼ1人で使えちゃいました。
トイレやシャワーもとても奇麗だったし、
朝食も充実していたし、
これで€10はとっても安いと思いました。
City Hostel Krakowお薦めで御座います。

という事で、最初の旅の緊張がほぐれ始めたのと、
この日の小旅行の疲れで、ぐっすりと寝ました。

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